
米国公開:1992年11月18日
日本公開:1993年02月20日
製作国:アメリカ合衆国
言語:英語
画面:ビスタ・ビジョン
音響:ドルビー
上映時間:202分
配給:UIP
【スタッフ】
監督:スパイク・リー脚本:アーノルド・パール
スパイク・リー
原作:アレックス・ヘイリー『マルコムX自伝』
製作:マーヴィン・ワース
スパイク・リー
共同製作:モンティ・ロス
ジョン・キリク
プレストン・ホームズ
撮影:アーネスト・ディッカーソン
美術:ウィン・トーマス
編集:バリー・アレクサンダー・ブラウン
音楽:テレンス・ブランチャード
【キャスト】
マルコムX:デンゼル・ワシントンベティ・シャバズ:アンジェラ・バセット
イライジャ・ムハンマド:アル・フリーマン・Jr.
ベインズ:アルバート・ホール
ウエスト・インディアン・アーチー:デルロイ・リンドー
ソフィア:ケイト・ヴァーノン
ローラ:テレサ・ランドル
ベンジャミン2X:ジーン・ラマレ
ブラザー・アール:ジャームズ・マクダニエル
シドニー:アーネスト・トーマス
ショーティ:スパイク・リー
ビル・ニューマン:ヴィンセント・ドノフリオ
サミー:ラリー・マッコイ
Mr.クーパー:カート・ウィリアムス
トゥーマー:ジョー・セネカ
トーマス・ヘイヤー:ジャンカルロ・エスポジート
ペグ:デビ・メイザー
ミス・ダン:カレン・アレン
JFKのリポーター:リチャード・シフ
警官:ウィリアム・フィクナー
ギル牧師:クリストファー・プラマー
本人役:ネルソン・マンデラ
【ストーリー】
1943年ボストン。第二次世界大戦の最中。スラム街に住む黒人マルコム・リトル(通称レッド)は18歳。縮れ毛をアルカリ液で伸ばし、流行りのファッションで女とギャンブルに興じていた。マルコムには8人の兄弟と1人の姉がいて、父親はK・K・Kに殺された後、母親ルイーズとの母子家庭だったが、ある日町のソーシャル・ワーカーが訪ねてきて、母親に子供たち、とりわけマルコムが泥棒していると訴えたため、マルコムは更生施設へ送られ、里子に出される。里親は白人で、学校も黒人はマルコムただ1人だった。クラスでトップの成績をとったマルコムが、先生に将来の希望を聞かれ「弁護士」と答えると「黒人は弁護士にはなれない、もっと黒人らしい職業を選べ」と言われる。学校を卒業したマルコムは、列車内の売り子として白人の食堂車で働き、美しい黒人の娘ローラとのダンスも見事な、派手でカッコイイ若者になっていた。マルコムはローラを愛しながら、白人の女ソフィアをガールフレンドにし、麻薬と享楽に明け暮れていた。
その頃、黒人ボクサー、ジョー・ルイスがドイツ人のマックス・スキムリングから世界ヘビー級チャンピオンベルトを奪回し、ハーレムはそれを祝って大騒ぎになっていた。
マルコムはあるバーで”ナンバー”というギャンブルの胴元をやっている黒人ギャングのリーダー、アーチーに出会う。アーチーはマルコムが気に入り、”ナンバー”のポン引きとして彼を雇う。マルコムはアーチーに目をかけられ、次第にいっぱしのペテン師に成長していく。
間もなくマルコムは小さな窃盗団を結成する。メンバーは、幼な友だちのショーティとマルコムの愛人ソフィア、ショーティの愛人ペグ、そしてイタリア人と黒人の混血ルディである。彼らは金持ちの屋敷や宝石店に盗みに入り、うまくいくのも束の間、間もなく逮捕される。ソフィアとペグは女子更生院での2年の実刑。マルコム、ショーティ、ルディはチャールズタウン州立刑務所で8年~10年の刑を言い渡される。1946年、マルコム20歳の時だった。この時既に彼はペテン師、ポン引き、麻薬の密売人で遂に囚人になったのであった。
刑務所でもマルコムは持ち前の鼻っ柱の強さで看守に反抗し自分の囚人番号を答えるのを拒み痛めつけられる。
ある日、変わり者と言われているベインズが、縮れ毛を伸ばしているマルコムに麻薬代わりのナツメグをくれて話しかけてきた。マルコムは次第に心を開くようになる。ベインズの話す一言一言に、目の前の現実が変わっていくような気持ちがした。ベインズは、マルコムが髪を直毛にするのを止めさせ、全てのアメリカ人は人種差別主義者で黒人を永遠に踏みにじるのだと説く。白人にこれをやめさせるには、戦い倒さねばならない。そのためにはまず彼らを知ることだと教える。さらにベインズはマルコムに、煙草、麻薬、酒、白人の女との関係を止めると誓わせ、図書室に連れていき、人権に関する本を読めと教える。マルコムは辞書のAからZまで、図書室の哲学、法律、宗教書等を片っぱしから読みまくり学問と知識を身につけていく。ベインズを通して宗教を学んだマルコムの前に、ある日、ブラック・モスレムの指導者イライジャ・ムハマドが燦然と輝く光につつまれて現われる。この不思議な体験でマルコムは自らなすべき使命を悟る。白い悪魔の前で、彼らに真実を告げるため命を捧げる…と。
1952年、出所したマルコムはイスラム教に入信し、リーダー、イライジャの右腕として全国のイスラム寺院で演説し活躍するようになる。黒人人権運動の高まりの中で、ジョンソンという黒人が正当な理由なく警官に暴行された事件で、マルコムは彼に面会を求めるが却下される。直ちにデモ隊を組織し率いた圧力に、警官はジョンソンを病院へ運んだ。彼は一命をとりとめ、マルコムが暴行の損害賠償として7万ドルを勝ち取ったことを人々は知る。マルコムは演説を続け、差別に対して”By Any Means Necessary”(いかなる手段を用いても)、と武装を呼びかけた。やがて膨大な黒人支持者を得るとともに白人に危険視されるようになる。60年代に入り人種差別への抵抗運動が全国的な展開を見せ、マーティン・ルーサー・キング牧師が公民権を求めるデモを続ける頃、ケネディが暗殺された。同時に人種差別に対する暴動が各地で勃発。
一方この頃、ブラック・モスレムの事実上のナンバー2にまでなっているマルコムを、ベインズ側の組織内部では危険視していた。その上指導者イライジャに複数の女性から子供の認知訴訟が起こされた。失望したマルコムはブラック・モスレムを脱退。
1963年12月、マルコムはアフリカ諸国、サウジアラビア、メッカへの巡礼の旅へ出る。人種を越えたイスラム教徒に接して深く感動、人類の友愛を知ったマルコムは、白人排斥だけの運動から国際視野に立った新たな道を探る決意をする。しかし、ブラック・モスレムを離脱したマルコムに、何者かからの脅迫電話が頻繁に入るようになっていた。やがて自宅に手榴弾が投げ込まれ、マルコムは家族と別れてホテルに住む状況に追い込まれる。
そして1965年2月21日、マルコムはこの日、会場のオーデュボン・ボールルームの控室で、人々の前に出たくないと側近に語りながら、しかし予定通り演壇に立った。すぐ銃声が鳴り響きマルコムが倒れた。銃弾はさらに、死亡を確認するようにマルコムの体に射ち込まれた。享年39歳の激しくも短い一生であった。