
本名:Rajmund Roman Liebling
生年月日:1933年08月18日
出生地:パリ
国籍:フランス/ポーランド
身長:165 cm
配偶者:バルバラ・ラス(1959-1962)
シャロン・テート(1968-1969)
エマニュエル・セニエ(1989-)
【略歴】
1933年8月18日、フランスのパリ生まれ。ポーランド系ユダヤ人で、母は収容所で死亡。ナチスの目を逃れて転々とする少年時代を過ごす。戦後は演劇学校に入り、俳優を経て監督に。ハリウッドに居を移すが、'69年に当時の妻シャロン・テートが新興宗教の狂信者たちに惨殺される事件があり、'77年には彼自身が少女姦淫問題を起こしてアメリカから逃亡しヨーロッパに活動の拠点を移す。以後渡米はしていない。【フィルモグラフィー】
1955:世代(出演)1957:パーティを破壊せよ[短編映画](監督・脚本)
殺人[短編映画](監督・脚本)
微笑[短編映画](監督・脚本)
1958:タンスと二人の男[短編映画](監督・脚本)
1959:灯り[短編映画](監督・脚本)
天使たちが失墜するとき[短編映画](監督・脚本)
1962:水の中のナイフ(監督・脚本)
1964:世界詐欺物語(監督・脚本)
1965:反撥(監督・脚本)
1966:袋小路(監督・脚本)
1967:吸血鬼(監督・脚本)
1968:ローズマリーの赤ちゃん(監督・脚本)
1969:マジック・クリスチャン(出演)
1971:マクベス(監督・脚本)
1972:ポランスキーの欲望の館(監督・脚本)
1974:チャイナタウン(監督・脚本)
処女の生血(出演)
1976:テナント/恐怖を借りた男(監督・脚本)
1979:テス(監督・脚本)
1986:ポランスキーのパイレーツ(監督・脚本)
1988:フランティック(監督・脚本)
1992:赤い航路(監督・脚本・製作)
バック・イン・ザ・USSR(出演)
1994:死と処女(監督)
他人のそら似(出演)
記憶の扉(出演)
1999:ナインスゲート(監督・脚本・製作)
2002:戦場のピアニスト(監督・製作)
2005:オリバー・ツイスト(監督・製作)
2007:それぞれのシネマ[オムニバス映画](監督・脚本・製作)
ラッシュアワー3(出演)
2010:ゴーストライター(監督・脚本・製作)
2011:おとなのけんか(監督・脚本)
2013:毛皮のヴィーナス(監督・脚本)
2017:告白小説、その結末(監督・脚本)
2019:オフィサー・アンド・スパイ(監督・脚本)
2023:The Palace(監督・脚本)
【受賞歴】
第75回アカデミー賞:監督賞『戦場のピアニスト』第60回ベルリン国際映画祭:監督賞『ゴーストライター』
第05回セザール賞:最優秀監督賞『テス』
第28回セザール賞:最優秀監督賞『戦場のピアニスト』
第36回セザール賞:最優秀監督賞『ゴーストライター』
第39回セザール賞:最優秀監督賞『毛皮のヴィーナス』
第45回セザール賞:最優秀監督賞『オフィサー・アンド・スパイ』
第37回全米映画批評家協会賞:監督賞『戦場のピアニスト』
第23回ヨーロッパ映画賞:最優秀監督賞『ゴーストライター』
第06回ロサンゼルス映画批評家協会賞:監督賞『テス』
第28回英国アカデミー賞:監督賞『チャイナタウン』
第56回英国アカデミー賞:監督賞『戦場のピアニスト』